縄文を旅する1 中部地方2 火焔街道を行く1 2013. 06.08(土) 新潟県長岡市関原町1丁目 字権現堂2247番2
再取材 前回撮影失敗のため再度別HPを編集アップロードしました
新潟県立歴史博物館 Part1 Part2 Part3
テーマ |
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「新潟県の歩み」、「雪」・「米」・「縄文」 |
設立目的 |
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新潟県の歴史及び民俗並びに縄文文化に関する県民の教養を高め、県民の学術及び文化の発展に寄与するため |
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交通 |
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長岡駅前から博物館行き(一日3本) か 6千円近く払ってレンタカーで行く。 |
感想 |
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おそらく日本で最も価値の高い縄文展示が行われている博物館です。 |
見所 |
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@縄文生活の再現が日本一詳しい。 |
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A縄文年表は知られてない謎を解き明かしてくれます。 |
私見 |
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私が今まで行ったことのある博物館の中で最も縄文展示が素晴らしいと思いました。 |
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目
次 |
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01新潟県立歴史博物館
外観
05新潟県の歩み
06雪国のくらし
07米作り
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考古
10縄文人の暮らし再現
11小屋の中の礼拝物
12冬山の狩猟
13春の山菜取り
14海辺の洞窟に暮らす家族
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15平地の暮らし
16炊事
17家の中
18土器づくり
19暮らしの道具
20アンギン編み
21掘立柱建物
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30縄文時代年表
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01新潟県立歴史博物館 外観 長岡市は火焔土器オブジェが街中に展示されています。
前庭のオブジェ |
火焔土器 |
王冠土器 |
オブジェ |
広大な館第二棟 |
裏庭は卯の花満開 |
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常設展示
05新潟県の歩み 歴史博物館として縄文から近代までの立派な展示がされています。
縄文土器片と時代の遺物を対比した展示 |
弥生時代の展示 |
奈良時代の役所再現 |
柿崎古墓貴重な平安の墓 |
長岡の武家色部氏資料 |
色部氏正月料理再現 |
上杉謙信 |
川中島合戦図屏風 |
佐渡金の運搬道中 |
自由民権運動 |
新潟の近代産業 |
新潟の交通 |
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06雪国のくらし 少し前の積雪期の暮らしが再現されています
雪のトンネルを入って川端康成の頃の豪雪地帯へ |
雪に埋もれた雁木の中を歩く。雪の匂いと低温ならば完璧雪国幻想 |
通ると突然話し声が聞こえてきたり、凝った再現でした |
子供の頃こんな荒物屋はまだあちこちに残っていましたよ |
竹や藁の製品が並ぶ昭和30年代の日本ですね |
間違えないでね。
昼間を再現してます。
雪に光を遮られて |
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雪おろしの風景です |
雁木(がんぎ)の構造 |
雪踏み(道つくり)通学前に総出で圧雪 |
かんじき雪に沈まない工夫 |
道つくり用の大型かんじき。大変な重労働 |
藁や藤の圧雪具 |
そり、きんま雪上運搬具 |
雪ペラ、スキー板 |
豪雪の村パネル |
除雪融雪の工夫 |
雪の利用 |
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07米作り 広大な田んぼか広がる新潟県は有数のコメの産地だ
眼前に実りの田んぼが広がる |
はせ掛けされた稲穂が取り入れを |
田んぼに水をくみ上げる風景。終日の作業 |
新しい水路がつき、水門の工事風景 |
唐箕で米を選別 |
湿田用の田下駄や稲運びの舟 |
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10 縄文人の世界
縄文の暮らし再現
日本一丹念に、詳しく、大規模に縄文生活を再現しています。
これを見るとついこの間までの日本の生活に縄文文化が生きていることがわかる。
私はここで初めて縄文の全体像を見た気がしました。
全編を通じて、縄文人の知識技術の伝達は指導ではなく
見て覚えるという伝承でした。
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11小屋の中の礼拝物 遺跡の名前はありませんが発掘に伴う結果から再現されたものでしょう。
円形住居に入ると |
炉の向こう側の上座に男根石が |
その向こう側に何やら礼拝物が |
この位置関係なら、向こう側にあるものは女陰 |
明らかな女性像 |
吊手土器ですね。こんな使い方するんだ |
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12冬山の狩猟 一年のうちで最もよく肥えた時期の動物がおいしい時期。落葉と降雪で狩猟がしやすい時期でもあります。
犬を勢子にして |
男五人で鹿一頭を仕留めた |
村の近くで分配のために解体を始めた |
血の一滴までも無駄にしないように |
馴れた手つきで皮を剥いでいく |
そろそろ早い冬の夕暮れが迫っている |
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13春の山菜取り 全て作り物だのに、うららかな日の射す、本当の春の野原に見える。素晴らしい装飾技術だ。
今日は家族総出の山菜採り |
雪に閉じ込められていた日々から解放され子供も大はしゃぎ |
食べられる山菜は、このようにして伝えられたのかもしれない。 |
真ん中の白い塊はモリアオガエル卵塊。下には水溜りもあります。 |
生まれたばかりの縄文犬も乳飲み子も、春の光で心地よさそうだ |
カタクリの花が沢山咲いて、やがてこの根も食糧に |
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14海辺の洞窟に暮らす家族 海蝕洞は意外に落盤が少ないようです。快適な生活が期待されます。
海蝕洞に暮して干物をつくり、交易に使います |
お爺さんは右足を骨折して治療中です。 |
今は鯛の旬。舟で出て長い銛で突き漁をします。 |
干しワカメの側では茹で貝を作っています。 |
大量の巨大牡蠣殻です。潜り漁もします |
凄いでしょ。魚がでかい |
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15平地の暮らし
ここに登場する住居は長方形住居といいます。
縄文といえば、竪穴住居か岩陰住居を想像しますが、ここでは珍しい長方形住居です。
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16炊事 外で調理をするのは原初的なようで、中国の田舎や台湾の少数民族では、今でもみられるようです。
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17家の中
この再現は発掘経験のたまものです。素晴らしいですね。 その後類似の展示をする館が出てきました。
登館者でこの中に入る人はほとんどないし、真っ暗で何も見えません。カメラのマジックで見えてます。
そんなところにまでこだわって再現する素晴らしさ。ぜひ皆さんも見に行ってください。
長方形住居の内部家の中では |
火の番をしている老人が。しかし、40歳位か |
壁の山鳥はこうして肉を熟成させてから食べるのが正しい食べ方です |
見事な鳥ですが、どうやって捕まえたのでしょう。ワナでしょうか。 |
炉の上には堅果類が保存してあります。 |
壁際には、火焔土器や大皿代わりの浅鉢があり、 |
鮭の干物が吊り下げてあったり、山で拾った、鹿の角があります |
私は懐中電灯を持って入りましたが、知らずにはいると |
踏み潰したり、割ったり、転んだりすると思います。お気をつけ下さい。 |
この赤と黒は漆の塗り物です。ここまで再現されています。 |
こちらにも塗り物が。縄文の高級品ですね。交易品ですかね。 |
鹿の角は骨器の材料として重宝します。 |
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18土器づくり 縄文人の芸術性の発露であり、知能が高く、三次元のデザインも、複雑な平面デザインも平然とこなす人々でした。
日当たりのよい表では |
親子孫で土器作りです |
火焔土器の壺部分を作っているのがママ |
火焔装飾をつけているのが爺 |
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再現するのにこの瞬間を再現するというマニアックさ |
土器の底には木の葉を引いて作業。しかし、布を敷くこともある |
アンギン編みは手ぬぐい程度の幅のものを縫い合わせて衣服にする |
敷物は竹か木の皮を編んだ物 |
磨り石の上で作ってます。やはり回転に便利な台が必要 |
孫の作る練習用のミニチュア土器はじいじの副葬品になるかも |
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19暮らしの道具
狩猟ごっこをやめた悪ガキはちからくらべを始めました |
できればこれらの土器を壊して大目玉をくらわないように |
顔料と彩色土器。アスファルトで貼りつけた矢と鏃は乾燥中 |
押し流される小魚を捉える筌(ウケ)ですね。大きくないと流されます |
いろいろな材料が転がしてあります。収納の考えはなかったでしょう |
やっぱり小さいほうが、はしっこい、いたずら小僧のようですね |
ゴミ捨て場です。住居のすぐ近くに捨てましたが、意味がありました。 |
仔イノシシのウリボウもいますね。ペット兼食料兼、狩猟の練習相手 |
ヨーロッパの新石器時代にも長方形住居が作られていました。 |
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蜂の巣採りをしようとしています。 |
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沢山の蔓(カズラ)や石で綱や布用繊維なども作れます |
多用途に使える石斧です |
縄文人の木や植物や木材加工の知識の結晶です。 |
矢は磨いて真っ直ぐにしないと的に当たらない。 |
矢羽を付けないと真っ直ぐに飛ばない。 |
この筌は大水が出るときに使います。 |
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20アンギン編み
最終氷期以降も列島への渡来人はあったはずだが、原始機(げんしばた)より原始的な機織りしかなかったということは、
少なくとも1.8万年前に東アジアに原始機の技術はなく、列島が陸封されて以降も技術を持ってくる者がいなかったことになる
家の中は真っ暗なので、すべての作業は外で行います。 |
織には時間がかかりますから出来上がった時にはもう汚れていますね |
飛び玉を一目ずつ向こうへこちらへ、気の遠くなる作業ですね。 |
土器づくりも織物も見て覚えれば習得は早い |
この繊維を作るのも大変な手間です |
人形はすべてそのポーズをはじめから指定した特注品 |
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21掘立柱建物
蜂の巣採りは鉢退治ではなく、蜂の子と蜂蜜を少し手に入れるのです。 |
長方形住居は木組の技術の粋を集めた縄文人住宅の完成系。雨漏り修理 |
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ヨーロッパの新石器時代には長方形住居に暮らしていたのに、
なぜ、日本では竪穴住居しかないんだと長い間疑問でした。
日本の主だった縄文博物館の中で、ここだけが小屋掛け住居
長方形住居を実用のものとして再現していました。
長野県立博物館では高床式建物が再現されていましたが、
これは非住居でした。
ただ、この長方形住居についてのネット上の情報は殆どなし。 |
この素晴らしい再現に心より拍手をおくります。 展示を見ると、いかに縄文文化が高度であったかや、それがつい最近の、
高度成長の時代以前の日本にしっかり残っていたことを感じ取らせてくれます。
縄文文化は弥生の渡来人によって滅んだのではなく、現代まで生きていた日本文化の根幹だったのですね。
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30縄文時代全史年表
縄文時代6期を別々に克明な考察を加えながらの年表です。
日本の一つの時代、縄文を一目で理解できる年表です。
私が再取材したのはまさにこの年表を撮影しなおすためだったのです。
それほど私にとってこの年表は素晴らしいものだと感じています。
安物のカメラですので、やはりうまく撮れていません。
そこで、わかる限り、文字に置きなおしてみました。多少誤植もありますが参考にしてください。
31
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原始〜旧石器〜草創期〜早期
※リンク先は図表を文書化したものです |
前期〜中期
※リンク先は図表を文書化したものです |
後期〜晩期〜弥生
※リンク先は図表を文書化したものです |
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アップロードの量が膨大になっています。これ以降はPart2に掲載することにします。 ご訪問ありがとうございました。
Part2 Part3
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